明治大学国際日本学部 特任教授の沼田優子氏に米国のアドバイザー業界の変遷についての寄稿を頂いた。沼田教授は長年に渡り米国の個人向け金融サービスや金融機関の販売チャネルを研究されており、2020年12月にも「IFAとは何者か―アドバイザーとプラットフォーマーのすべて」を上梓されている。
本コラムは、全5回のシリーズを予定しており、第1回は「逆境を商機に変えてきた米国独立系アドバイザー」というテーマである。
逆境をばねに成長した米国独立系アドバイザー
今でこそ、米国の独立系アドバイザーは3タイプに分かれ、これらを合わせると対面証券チャネルの最大勢力となっている。しかしその成り立ちはよくわかっていない。
人数が多いのは証券外務員型(我が国の金融商品仲介業者に近い)だが、彼らは証券会社から雇用されていないこと以外、制度上は何ら正社員型の証券外務員と変わらない。彼らが所属する証券会社が台頭し始めたのが1970年代、株式委託手数料が自由化された頃であるから、コスト削減目的があったのかもしれない。
投資顧問型の原型はより古く、1929年の大恐慌時に70業者程度いたことが確認されている。ただ、存在感を示し始めたのは1980年代後半、チャールズ・シュワブ(当時のディスカウント・ブローカー大手)が専門部署を作ってからである。
1987年のブラック・マンデーはアドバイザーにとっての転機となった。回転売買、高額・系列商品販売といった商慣行が問題視され、証券会社が資産管理型営業に舵を切るきっかけの一つとなったからである。独立系アドバイザーは系列商品も証券会社との雇用関係もなく、特に投資顧問型は証券外務員免許も持たないが故にコミッションも受け取れないことから、利益相反から最も遠いチャネルとして、注目されるようになった。
ITバブルの崩壊が対面アドバイスを見直すきっかけに
もっとも1990年代は株式ブームでもあったため、投資信託の直販、ネット証券、確定拠出年金といった自助努力チャネルも花開いた。そして2001年のITバブル崩壊を迎えたが、独立系アドバイザーにとってはこれも追い風となった。1990年代を通して投資経験を積んだ自助努力型の投資家も、株価暴落に見舞われて専門家の必要性を痛感し、その後は対面回帰をしたからである。
しかもITバブル期の新規公開を巡る不正露見等もあって、経営の立て直しを迫られた大手証券は、富裕層特化を打ち出さざるを得なかった。そのため、独立系アドバイザーが対面アドバイスを求める資産形成層の受け皿となったのである。
顧客本位な業務運営が認められた金融危機後
証券化等、復権をかけた大手の新規事業が2008年の金融危機の誘因となったのは皮肉である。ただし金融危機時は、大手ブランドの棄損に巻き込まれたくなかったトップ営業担当者たちの独立気運が高まった。
ITバブル以降の顧客本位な姿勢が顧客の信頼獲得につながり、顧客は金融危機で離脱するどころか、独立する営業担当者についていったのである。象徴的だったのは、そうした独立組の受け皿となったチャールズ・シュワブが、2014年に預かり資産で老舗大手証券を抜いてトップとなったことであろう。
金融危機の反省から制定された2010年の金融制度改革法で、証券外務員にも米国版顧客本位な業務運営原則を課すべきであるとの方向性が示されたことも独立チャネル拡大を後押しした。これは、投資顧問型独立系アドバイザー「並みの」行動規範を、正社員型も含めた証券外務員にも課そうとするもので、独立系アドバイザーが提供する投資家保護の優位性が、広く認知されるきっかけとなったからである。
また、証券外務員の投資家保護規制が引き上げられる見通しがたったことから、独立系アドバイザーは投資顧問型に拘る必要もなくなった。そこでこの頃から、品ぞろえが広いほうが、顧客にとって最善の商品を提供しやすいことが再認識されるようになり、証券外務員型と投資顧問型を兼業するハイブリッド型の独立系アドバイザーが伸び始めた。確定拠出年金等、明らかに顧客本位な商品が、コミッションを受け取れない投資顧問型には提供できないからである。
ただし、この議論は紆余曲折が続き、ようやく「最善の利益規則」として施行されたのは、2020年に入ってからである。
エンパワメントされた独立系アドバイザー
この規則は、いわば投資家保護水準の引き上げを最後まで渋っていたアドバイザーにもこれを義務付けるもので、顧客本位な業務運営の先陣を切ってきた独立系アドバイザーにとっては、営業方針の大きな変更を強いるものではない。
それでも、顧客を熟知するアドバイザーが、推奨しようとする商品が最善の利益に資するか否かを顧客ごとに見極め、そう信じるに足る証跡を残した上で、これを提供する必要がでてきた。各顧客にとっての「最善」が異なるため、全社一律型のコンプライアンス体制や商品では、対応しにくいからである。
そのため前線での負担が増えたアドバイザーは、営業支援やコンプライアンスのツールを営業力の増幅装置として使いこなしながら、従来以上に裁量の幅を広げつつある。
このように独立系アドバイザーの歴史は、必ずしも華々しいブームやヒット商品に彩られたものではないかもしれない。むしろ危機や規制強化を商機に変え、これらを乗り越えるたびに存在感を高めてきたパイオニア達の軌跡であると言えそうである。